韓国小旅行

朝鮮王朝のお墓・西三陵に行きました(서삼릉)

idonguri 2022. 1. 5. 15:30
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こんにちは。どんぐりと太陽です。

 

今日は天気がとても良かったので、朝鮮王朝のお墓の西三陵(ソサムルン)に行ってきました。

朝鮮王陵は人類の文化遺産として優れた普遍的な価値を認められ、

2009年6月にユネスコ世界遺産に登録されました。

 

朝鮮王族のお墓は形119基あり、陵は42基、園は13基、墓は64基あります。

朝鮮王族のお墓は墓の主の身分によって呼び名が異なります。

陵は王と王妃のお墓、園は王世子や王世子嬪または王の私親の墓、

そのほかの王族の場合は、一般の人と同じように墓と呼ぶそうです。

500年以上昔の王朝の陵が完全に保存されているのは、世界でも類を見ないそうです。

 

西三陵(ソサムルン)

西三陵は名前の通り、ソウルの西の方にあり、王と王妃のお墓が三つあります。

三人の王と王妃のお墓は禧陵(フィルン)、孝陵(ヒョルン)、睿陵(イェルン)といいます。

また孝昌園(ヒョチャンウォン)、懿寧園(ウィリョンウォン)、昭慶園(ソギョンウォン)という

三人の王世子のお墓があります。

 

胎室(へその緒を保管している所)は事前予約すると見れるそうですが、

残念ながら孝陵(ヒョルン)と昭慶園(ソギョンウォン)、側室の墓や王子王女の墓は

現在非公開となっていて見ることはできません。

入場券売り場
西三陵の案内図
陵全体の案内図
フクロウ、キツツキ、ジョウビタキ、ヒヨドリがいるそうです

 

禧陵(フィルン)

章敬王后(チャンギョンワンフ)のお墓

禧陵(フィルン)

禧陵(フィルン)は朝鮮第11代王中宗の一番目の継妃章敬王后(チャンギョンワンフ)のお墓です。

章敬王后はちょうどドラマ「女人天下」の時代に生きていた人です。

 

最初の中宗妃 端敬王后(タンギョンワンフ)は暴君「燕山君」と親戚関係だったため、

廃妃されてしまいました。

中宗と廃妃は慕い合っていたため、中宗は廃妃が居る私家の方に向かい涙を流したそうです。

廃妃は恋しい王様のいる宮殿に向かい、チマを掲げて「切ない思い」を示したそうです。

 

その次に中宗妃となったのが章敬王后です。

章敬王后(1491〜1515)は1507年に王妃となり、

1515年に第12代王仁宗を生んで七日後に亡くなりました。

 

睿陵(イェルン)

第25代王哲宗(チョルジョン)と哲仁王后(チョルインワンフ)のお墓

睿陵(イェルン)

睿陵(イェルン)は第25代王哲宗(チョルジョン)と哲仁王后チョルインワンフ)のお墓です。

哲宗(1831〜1863)は思悼世子(サドセジャ)の曾孫にあたり、王として1849年から1863年まで治めました。

第22代王正祖(ジョンジョ)イ・サンとは、腹違いの弟である恩彦君(母は淑嬪任氏)の孫という関係になります。

 

哲宗はもともと江華島で農業を営んでいましたが、第24代王憲宗(ホンジョン)が亡くなり

王位継承者がいなかったため、最終的に即位することになりました。

19歳で即位したので、最初の三年間は純元王后(第23代国王純祖の正室)が垂簾聴政をしていましたが、その後自ら政治を行うようになりました。

哲仁王后は(1837〜1878)は1851年に王妃となったそうです。

 

孝昌園(ヒョチャンウォン)文孝世子(ムンヒョセジャ)の墓

懿寧園(ウィリョンウォン)懿昭世孫(ウィソセソン)の墓

孝昌園(ヒョチャンウォン)、懿寧園(ウィリョンウォン)
手前が孝昌園(ヒョチャンウォン)奥が懿寧園(ウィリョンウォン)

孝昌園(ヒョチャンウォン)は文孝世子(ムンヒョセジャ)のお墓です。

文孝世子(1782〜1786)は第22代正祖の長男で宜嬪成氏の子で、

ドラマ「イサン」のイサンとソンヨンの息子です。

 

懿寧園(ウィリョンウォン)は懿昭世孫(ウィソセソン)のお墓です。

懿昭世孫(1750〜1752)は第21代英祖(ヨンジョ)の世孫、思悼世子の1番目の息子です。

早く亡くなってしまいましたが、イサンのお兄さんになります。

それで懿昭世孫と文孝世子の関係は、伯父と甥ということになります。

 

孝陵(ヒョルン)(現在公開されていません)

胎室、王子王女の墓、側室の墓、懐墓(3〜7日前に予約すると見学可能)

 

孝陵、胎室、王子王女墓などの案内図

残念ながら孝陵(ヒョルン)は見ることはできません。

胎室、王子王女墓、側室墓、懐墓は見学したい日の3〜7日前にオンラインで予約すると見れるそうです。

電話予約と現場で予約はできないそうです。

胎室の予約観覧案内です

孝陵(ヒョルン)は第12代王仁宗(インジョン)と仁聖王后(インソンワンフ)のお墓です。

仁宗(1515〜1545)は第11代王中宗の第一王子で、王として1544から1545年まで治めました。

朝鮮の歴代の王の中で在位期間が最も短い王でした。

仁宗は父の中宗が床に伏すと、一日中そばを離れることがありませんでした。

自分が王になってからも、悲しみのあまり床に伏してしまい亡くなってしまいました。

仁聖王后(1514〜1577)は1544年に王妃となったそうです。

 

側室墓には宜嬪成氏(ウィビンソンシ)の墓もあるそうです。

イサンのソンヨンの墓ということになりますね。

懐墓は燕山君の母の廃妃尹氏(ペビユンシ)のお墓だそうです。

 

昭慶園(ソギョンウォン)

昭慶園(ソギョンウォン)こちらも非公開

昭慶園(ソギョンウォン)は昭顕世子(ソヒョンセジャ)のお墓です。

昭顕世子(1612〜1645)は第16代王仁祖(インジョ)の第一王子だそうです。

ドラマ「推奴」の冒頭で無残に父王の仁祖に殺された「悲劇の世子」です。

 

西三陵の観覧情報

・観覧時間

 夏季(3〜10月)9:00〜18:30 (入場券販売終了時間17:30)

 冬季(11〜2月)9:00〜17:30  (入場券販売終了時間16:30)

 観覧所要時間 約1時間

 定休日 毎週月曜日

・入場料 大人1,000ウォン 子ども500ウォン

・アクセス 地下鉄3号線「三松(삼송)駅五番出口」からバス041番に乗り換え西三陵で下車

 

ちょっと離れた場所にあるため、行くのは大変かもしれませんが

韓国の郊外の雰囲気を味わうことができますよ。

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